銀行員を辞めても必要とされる限りは働く。
仕事もゴルフも山歩きも現役。
企業再生資金調達
相談役
竹岡 義之Yoshiyuki Takeoka
竹岡 義之Yoshiyuki Takeoka
三重県津市出身。小学校時代に金融教育の一環として実施していた「こども銀行」の取組で将来就職することとなる銀行のことを知る。計算が得意だったことを銀行員に褒められ、小学生にして早くも将来の夢を銀行員とする。一度も、よそ見をすることなく、新卒でその銀行に入行。入行後は渉外担当、融資係、支店長、自己査定・再生支援などに従事し、定年まで勤めあげる。その後、県の出先機関に新設された中小企業再生支援に関する組織の統括責任者や企業再生担当者などを歴任。70歳の節目のタイミングで各役職は退任も、その後は企業再生、資金調達を中心とした経営コンサルティングに従事。2019年、ロジセンス相談役に就任。一番の趣味は登山で、100名山のうち65座に登頂。
ロジセンスという存在が絶対に世の中に必要なのだと信じているから、ここにいる。
現在の主な仕事内容やミッションを教えてください。
竹岡:これまでのキャリアを経て自認している企業再生スペシャリストとして、ロジセンスが引き受ける案件の中でも、財務面でのアドバイスはできることも多いので、自身の専門が活かせる部分は主体的に関わることもあります。厳密に言えば、私の肩書きは相談役であり、コンサルタントではないのですが、クライアントからもロジセンスの仲間からも頼られることも多く、メンバーの皆さんと同じミッションを共有して、ただの参加者ではなく主体者として頑張ってしまうこともありますね。
ロジセンスのコンサルティングは、大きな課題に目を向けるだけでなく、小さな問題すべてに向き合うことも大切にしています。業務フローに問題があるのか、社員育成を改善する必要があるのか、顧客グリップに弱点があるのか、全体最適を構成する個別施策の精度が求められます。そんな中で、やはりお金に関わる問題は特に専門知識や豊富な経験が求められる領域です。私が主に担うのは、まさにそこです。長年の銀行業務や企業再生に関わってきたからこそ、あらゆる企業のあらゆる財務基盤強化や資金調達などに、実効性のある解決策を提案する。これこそが、私がここにいる理由です。もちろん、ロジセンス自体の経営についても、しっかり目を光らせていますよ(笑)。
ロジセンスと出会い共に仕事をするようになった経緯と理由を教えてもらえますか。
竹岡:当時は、いくつかの企業の顧問として経営指導や事業承継に手を貸していたのですが、とうに70歳を過ぎてそろそろ自分のビジネスパーソンとしてのキャリアをどう締めくくるかを考え始めた時期でした。そんな時、現取締役の堀内からロジセンスの経営について相談があったのです。設立3年目だったのですが、事業の成長に対して、財務をしっかり管理監督できる体制が未整備だという問題があり、専門家として力を借りたいということでした。ですから、最初は一緒に仕事をするというよりも、私が財務面をスーパーバイズするという関係ですね。
実際に代表の中井に会って話をすると、ロジセンスの目指すことやその手法の独自性にとても興味を覚え希望を感じました。また、中井博文という個人の魅力にも気付かされました。それは、誠実さと行動力がしっかりと両立しているところ。たくさんの企業を元気にするという熱い想いを持ちながら、目的のために危険を冒したり誰かに大きな負荷を強いるようなことをするのではなく、とことん相手と向き合いどんな小さなことにも一生懸命に取り組む姿勢。ロジセンスという存在は、絶対に世の中に必要なのだと信じることができました。
それからは自然な流れで、ロジセンスのクライアントワークにも加わることが増えていきました。私の専門性がロジセンスの新たな武器になるならと、私にとっても新たなチャレンジができる嬉しい出会いでしたね。
銀行員の王道から外れたからこそ身についた特別な専門性。
竹岡さんがそのような専門性を身につけてきた、これまでの経歴を教えてください。
竹岡:新卒で、小学校から変わらずに志望していた地元の銀行に就職しました。最初は支店に配属され、帳簿など銀行業務の基礎を覚えたり、原付バイクに乗って集金に回ったり、少しすると融資業務に携わらせてもらったりと、いわゆる銀行員として王道のスタートでした。当時はいわゆる接待やお付き合いなども普通にあったので、勤務時間内はもちろんそれ以外でも社会にはいろんな会社があって、いろんな仕事があるんだと勉強できて面白かったですね。取引先の社員旅行に連れて行っていただいたことなんかもありましたよ。そうやって経済の仕組みやお金の流れを学び、銀行の役割や使命のようなものを理解していきました。
銀行というのは今も昔も転勤が多いということはよく知られていますが、新しい世界が次から次へと目の前に現れるという変化は私にとって嬉しいことでした。マーケット環境が厳しい支店への異動もありましたが、それはこれまでの仕事や業績への評価と期待の証だと思い、さらに頑張りました。そういった支店では、これまでやってきたことを同じようにやっていてはいけないと、先輩や上司にも思ったことをどんどんぶつけていたので、煙たがられたりしたこともありました(笑)。しかし与えられた目標やミッションはクリアすることで、結構思ったようにやれていたのではないでしょうか。誰にも本音でぶつかってきたので、今でも深く付き合っている仲間がたくさんできました。
そうして定年まで順当にキャリアを重ねてこられたのでしょうか。
竹岡:順調と言えるのかどうかわかりませんが、銀行員の王道からは外れたかもしれませんね。50歳くらいの時に、行内でも注目が集まるほど問題が大きくなってしまった取引先の私的整理に携わることになったのですが、そこから民事再生や清算手続を手がけることが増えていきました。間もなく銀行自体が破綻するような時代になり、大蔵省(現財務省)と日銀の銀行に対する監督が強化されました。私は、その窓口責任者として企業の倒産や再建といった問題を国からの視点と企業からの視点で見ながら、自分が本気で取り組むべきことはこれなのではという思いを強めていきました。その思いが周囲に伝わったのか、その後は整理対象企業の管財や県に設置された再生支援協議会などへの出向をしたり、同様の公的機関にも所属したりして、70歳まで企業再生に関わることになりました。もちろん、その後も「必要とされればどこにでも行くよ」という姿勢は変わらず、いくつかの民間企業で顧問として企業再生、資金調達、事業承継支援などを行ってきました。
70歳を過ぎても新しいことにチャレンジできる幸せ。
子どもの頃に思い描いていた将来の自分と今の自分は、重なり合うところがありますか。
竹岡:実は、小学校低学年の頃から計算するのが早くて、当時、小学生への金融教育の一環として小学校内で開催されていた「こども銀行」の運営に、のちに働くことになる銀行の行員が来ていて、「計算が早いね」と褒められたことで、「大人になったらこの銀行で働く」と思ったことをはっきりと覚えています。中学生になり高校に進学しても変わらず数学は得意でしたし、その思いは揺らぐことがありませんでした。それは就職活動を始める時期になっても変わらず、その銀行しか受けませんでした。子どもの頃に銀行員の具体的な仕事内容を知っていたわけではなく、ましてや企業再生に携わる現在の姿なんて想像できませんでしたが、数字や計算に関わることで少しでも社会の役に立てているのは、想像以上の姿になれているということではないでしょうか。
これからさらに力を入れたいことや、やりたいことがあれば教えてください。
竹岡:ロジセンスに出会う前は、もう仕事としてはやり切ったし、未練はないと思っていました。でも心のどこかに、すべてから引退してぽっかり穴が空いてしまうのは嫌だな、という気持ちもありました。そんな時に、これまでとは違う角度から自分の専門性を活かして、新しいチャレンジができるというやりがいに出会えた。そんなロジセンスで、もう少しだけ頑張りたいと思っています。
あとは、プライベートをもっと楽しむということですね。60年以上続けている登山をまだまだ楽しみたいですし、銀行員になって始めたゴルフも今でも現役です。健康でいることが一番ですが、趣味と仕事で家族を顧みていなかったことも事実なので、これから家族と過ごす時間を多く持つためにも健康を維持したいと思っています。幸せなことに、妻も元気ですし、とっくに社会人として独立した子どもたちも近くに住んでいるので、家族との時間も楽しみたいですね。
インタビュー:中井 博文 (LOGISENSE Inc.)
記事執筆:竹中 圭一 (LOGISENSE Inc.)
撮影:井村 義次 (LOGISENSE Inc.)