中井と一緒に最高の仕事をしたい。
そう思ってくれる仲間がいたから、今がある。未来がある。

経営マーケティング人事採用

代表取締役/CEO(最高経営責任者)

中井 博文Hirofumi Nakai

中井 博文Hirofumi Nakai

三重県伊勢市出身。立命館大学法学部卒業。卒業後は大手証券会社の本店にて営業に従事。約3年の在職期間で自分なりの営業スタイルを見つけ、それなりの業績を上げるも、自身の仕事観と現実とのギャップを感じ転職を決意。懇意にしていた顧客からの誘いで、業種特化型のコンサルティングファームに入社。その後、さらにコンサルティングファーム2社に在籍し、経営、マーケティング、人事に関するコンサルティングを経験し、2014年に株式会社ロジセンスを設立。大学卒業後は東京→愛知に住み、地元以外で約7年間を過ごす。三重には2012年にUターン移住。休日は釣りや山登りなど、自然と触れ合う。

上流から下流まで一気通貫の経営コンサルティングを実現するために。

ロジセンス代表として、現在は主にどのような業務やミッションを担っていますか。

中井:代表とはいえ、オフィスで座っている時間より、営業にプレゼンにクライアントとのミーティングにと、外を走り回っている時間の方がはるかに長いですね。経営者としてメンバーを引っ張るのはもちろんなのですが、プレーヤーとして常に先頭に立ち高いパフォーマンスを発揮することの方が今は大切だと考えています。まだ設立10年を過ぎたばかり、しかも設立から5年目くらいまでは紆余曲折があった反省もあり、私が率先して攻める姿勢と生み出す成果を見せることがまだまだ必要だと考えています。

私のミッションとしては、次のように考えています。まずは、ロジセンスを信じて頼りにしてくれる新たなクライアントの輪を拡げ続けること。また、優秀なメンバーたちの能力を最大限に引き出し、成長を後押しすること。そして何よりも、私たちにしかできないソリューションを形にし、最高の成果と顧客満足を生み出すことです。その結果としてこのロジセンスが成長を続け、新しい仲間がさらに増え、そして本来の魅力や能力を最大限に発揮して輝く企業や個人が溢れる、そんな社会を実現したいと思っています。

どのような思いでロジセンスを立ち上げようと思ったのでしょうか。

中井:私はこれまでいくつかの企業に所属し、キャリアチェンジをしてきましたが、主に経営、マーケティング、金融に関するコンサルティングに従事してきました。しかしロジセンス設立当初に特化したのは、人材紹介事業でした。もちろん、そこには理由があります。この会社を立ち上げる前に所属していた会社で、エリア特化型の人材紹介事業の立ち上げフェーズを経験しました。その経験を通して三重というエリアではまだまだ人材紹介事業の伸びしろがあると実感したことと、それまで数多くの企業やその経営者と接してきた中で、どのような経営課題にも「人材」の問題が大きく関わっていることを学んだからです。

「いかに優れた部分最適も全体最適には勝てない」というP.F. ドラッカーの言葉をコンサルティングの指針としているのですが、その全体最適のためのどのような部分最適にも欠かせない要素として、まずは人材に関するスペシャリティをロジセンスに装着することから始めたのです。それから10年、「あらゆる部分最適の手法を有するからこそ一気通貫で全体最適を提供できる存在になる」という会社を立ち上げた想いは、着々と形になりつつあります。

コンサルが天職と気づき、がむしゃらに専門性を磨いた20代。

そんな想いを抱くに至るまでの、社会人としての歩みを教えてください。

中井:大学は法学部だったのですが、就職活動を進める中で将来を考えた時から、なんとなく独立や起業というキーワードは頭の中にありました。とはいえ、そこそこ人より弁がたつという自覚と、1年間のイギリス留学で身につけたそこそこの英語力だけで、卒業していきなり独立するという選択肢は現実的にはありえませんでした。ですから、とにかくビジネスパーソンとしての底力を上げる環境を第一に考えた結果、大手証券会社への新卒入社を決めました。メガバンクからも内定をもらっていたので、そちらを選ばなかったことに、親からは色々言われましたが(笑)、とにかく東京に出て厳しい環境で勝負するんだ、という想いで迷いはなかったですね。

そして東京の本店に配属され、文字通り修行のような日々を過ごしました。ですが、自身のレベルアップのためにこのような厳しい環境を望んでいましたし、意識の高い同僚と高めあえる環境もあったので頑張れました。最初の頃はテレアポや飛び込みで、それこそ気合と根性の世界でしたが、そんな中で、無駄なテレアポや飛び込みをしたくない一心もあり(笑)、自分なりの営業スタイルを模索し、やがて結果に表れ始め、仕事も面白くなってきました。ただ、やはり証券会社というか、大手企業の宿命と言うべきなのか、自身の理想とする顧客との向き合い方と現実とのギャップに疑問を感じるようになってしまい、在職約3年で転職を決意しました。

独立ではなく、転職という選択をしたのですね。

中井:そうですね。ビジネスパーソンとしての経験や実力も乏しく、具体的な事業構想もない中で、独立は現実的ではありませんでした。幸いにも、証券会社時代のお客様だった社長からお声がけをいただき入社したのが、木造建築業界に特化したコンサルティング会社でした。ここでコンサルティング業界に初めて足を踏み入れることになります。ただ、本当に情けないのですが、この会社に在籍した約2年間は全く会社に貢献することができませんでした。ちょうどリーマンショックの時期でもあり、決して会社の業績も好調ではなかったので、これ以上会社に迷惑はかけられないと、転職を決意します。同時期、プライベートでは結婚、第一子誕生と、家族に対する責任も大きくなっていました。独立という夢を持ちながらも、ビジネスパーソンとして挫折を味わい、さらにプライベートの変化もあり、自身のキャリアビジョンに迷いが生じていた時期でした。

そして、経営と金融を柱としたコンサルティング会社に転職します。前職では活躍できなかったものの、コンサル業界には興味を持てたこともあり、コンサルティング経験をもっと積みたいと考えたからです。非常に優秀なコンサルタントが所属する少数精鋭の組織だったこともあり、外資系金融機関の経営経験のある社長をはじめとする先輩方に徹底的に鍛えられ、経営戦略論、マーケティング理論などコンサルタントとして「戦う武器」のようなものを身につけることができました。コンサル業界が自分の居場所かもしれない。ここで結果を出したら何者かになれる。現実的な独立に向けて、ようやく自分にスイッチが入った瞬間でした。

その時には、独立に向けた事業内容や経営戦略まで構想していましたか。

中井:いいえ、詳細な計画までは描けていませんでした。ただ、個人の業績として結果が出始めるにつれ、中井を慕ってくれるクライアントが増え、社内でも同僚、上司、社長からも評価が上がり、「コンサルが自分の天職だな」と考えるようになりました。2年が過ぎ、ここでもっと多くの経験を積み実力をつけたいと思っていた矢先、期せずして、実家の家族の健康上の理由で地元伊勢に戻る決断をすることになりました。充実した今のキャリアor実家、という私にとっては究極の選択でしたが、結果的に実家を選択し地元伊勢にUターン移住したのです。

実家の家族のために伊勢に戻ったものの、夢はあきらめたくなかったので地元のコンサルティング会社に入社しました。伊勢のような田舎にコンサルティング会社はないと諦めかけていたのですが、奇跡的にコンサルティング会社があり、当時募集をしていなかったにも関わらず、同社に押しかけて入社を直訴し採用をしてくれた社長には非常に感謝しています。この会社で、幸いにも立ち上げ間もない地元特化型の人材紹介事業に携わることになります。この新事業の収益化のために様々な挑戦をさせてもらう機会を通して、人材課題を切り口としたコンサルティングの可能性を大いに感じることができました。ここで「人材を切り口に経営課題全体にアプローチする」という事業の方向性が定まり、起業という形で独立しました。2014年、株式会社ロジセンスの設立です。

専門性を持ち理想と目標を共有してくれる仲間が、集い出した今。

コンサルティング会社は世の中に数多くありますが、ロジセンスの優位性はどこにあるのでしょう。

中井:これまでコンサルティングを事業内容とする企業数社で実際に働いてきたわけですが、私の中で疑問に思い物足りなさを感じていたのが、どこも「上流にしか手をつけない」ことでした。要するに、クライアントの現状理解や問題抽出、課題設定、解決策立案までは行うのですが、具体的な施策の実行フェーズになるとクライアント自身で各施策を社内チームで実施したり、施策に関する専門業社に任せたりするという流れです。ただ、コンサルティングを通して上流部分でいかに良い仕事をしても、施策実行フェーズでうまくいかないケースも多く見てきました。

私はやはり全体最適というゴールのために、クライアント自身で自己解決が難しいのであれば、コンサルティングは川上から川下まで一気通貫でやるべきだし、そこに当社の存在意義があると確信しました。しかし、それを実現するには私一人では到底無理なことも分かっていましたので、ここまでの10年間は本当に信頼できる仲間を集めるのに必要な時間でした。そしてこれからも、ロジセンスの想いを理解し共感してくれる仲間を増やすために、どんどん発信していこうと思っています。

現時点でロジセンスのチーム力をどのように評価されていますか。

中井:もちろん理想は限りなく高いところにありますし、現実的に見ても、全てのクライアントに対して思った通りのソリューションが提供できているわけではないと思います。それは私の力不足もありますが、手掛ける案件の数に対しても質に対しても、やはりまだまだ人的リソースが不足していることは否めません。しかし、長く支えていてくれる役員の二人はもちろん、最近加わってくれた新しいメンバーたちも、それぞれのスペシャリティに加え、ロジセンスの経営理念に共感の上で、存分に力を発揮してくれていますので、これからには期待と楽しみしかないですね。

最高のチームで最高の仕事を、できることは無限大。

ここまで、ご自身の計画や想定通りに成長していると理解していいのでしょうか。

中井:いやいや、決して順風満帆ではないし、思った通りにならない経営の難しさはずっと感じています。特に、設立して5年目くらいまでは本当に会社運営に苦戦しました。シンプルにお伝えすると、私はプレーヤーとして「攻める」ことは得意でしたが経営者として「守る」ことを軽視してしまっていたのです。しかし、そんな時に手を差し伸べてくれたのが、独立前から様々な形で一緒に仕事をしていた現役員の堀内と髙萩でした。

この二人は当初からロジセンスを応援してくれていましたが、私が経営者として一人で会社運営の大きな壁に右往左往している姿を見て、「こんなところで中井を潰してはいけない」と、役員として経営参画し内側から会社の立て直しに協力してくれたのです。後で聞くと、私のモチベーションの灯は消えていなかったから、続ければきっとうまくいくと思ってくれていたようで、本当に感謝してもしきれないです。想定よりは少し回り道をしましたがその分、今は想定以上の急カーブで成長を実感しています。

最後に、これからの目標や抱負などをお聞かせください。

中井:独立をする理由の一つに、「最高のチームをつくりたい」というものがありました。プレーヤーとしてはそれなりに高い業績をあげてきましたが、自分でチームをつくり育てることをする機会はありませんでした。そして、チームで取り組めばもっと良い成果が生み出せるのに、という悔しさを感じたこともありました。創業フェーズの苦労を経て大きな成長フェーズに入っている今、最高のチームで最高のコンサルティングを行うという目標に、これまで以上に向き合っています。

今後は、ブラッシュアップした新たな経営理念を胸に、人にも企業にも地域にも貢献できるコンサルティングや自主事業を積極的に行っていきたいですね。ロジセンスのビジネスは日本中の企業や個人を対象にしていますが、やはり「地域」という視点は大事にしていきたいと考えています。地元の伊勢、三重に限らず、日本全国の地域が本来の個性や魅力で輝ける世の中こそ、閉塞感のある日本を変える起爆剤だと信じています。

インタビュー:竹中 圭一 (LOGISENSE Inc.)
記事執筆:竹中 圭一 (LOGISENSE Inc.)
撮影:井村 義次 (LOGISENSE Inc.)

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