都心のベンチャー企業も、
老舗の安定企業も経験した。
ワクワクできそうなことは、ここにあった。
人事採用求人広告運用代行
コンサルタント
世古 祐貴Yuki Seko
世古 祐貴Yuki Seko
三重県鳥羽市出身。関西大学経済学部卒業。若手起業家に憧れ、東京の人材系ベンチャー企業に就職。首都圏のクライアントを担当する営業職としてスタートするも、支店立ち上げメンバーに選ばれ大阪へ異動。入社3年が経過する頃、叔父からの誘いで地元の老舗和菓子製造会社に入社。約10年勤務した後、より自身が主体的に活躍できる環境を求め、食用油メーカーに転職。自由な社風で仕事に面白さも感じていたものの、「年齢的に自身がもう一回り成長するラストチャンスは今だ!」と数年に渡り公私ともに知己の関係であった中井・堀内と一緒に働くことを選択し、ロジセンスへ入社。子育てと庭の手入れが、目下の楽しみ。
東京で華々しく活躍するベンチャー経営者に憧れて。
現在の主な仕事内容やミッションを教えてください。
世古:最近入社したばかりなので、これからポジションやミッションをつくり出していかなくては、という段階です。ロジセンスが提供するコンサルティングにおいて、まずは人事や採用というフェーズからの問題解決に関わっていくというアウトラインが、当面の業務内容にはなっています。しかし、仲間とチームを組み、クライアントの経営課題に対して一気通貫の全体最適を実現する、というロジセンスの仕事の進め方の中では、「自分の仕事はここからここまで」という捉え方をしてはいけない、もっと大きな枠組みで仕事ができるんだろう、とも思っています。
私は、新しい自分になりたくてここに来ました。いや、本来の自分を解放し成長させるために、といった方がいいかもしれません。もちろん、自分本位の欲求を満たすことが目的ではありません。これまでのキャリアの中では、基本的には決められた業務と役割の中で、求められる業績を追いかけることを続けてきました。本来、企業で働くということはそういうことなんですけどね。でも、職種とか部署にとらわれずに自分が関われる領域を広げていくことや、圧倒的な当事者意識と責任感を持ってより大きな成果を生み出せる人になることが、自分本来のありたい姿だったのです。
本来ありたい自分、理想とする自分の姿は、いつ頃から思い描いていましたか。
世古:高校に通っていた頃から、将来は東京で活躍したいと思っていました。ただ、大阪での生活も経験しておきたかったので、大阪の大学に進学しました。大学時代は、規模の大きいイベントサークルに所属し幹部として運営に力を入れていました。大学祭の実行委員も務めるなど、多くの人の先頭に立ってものを動かしたり成功に導いたりすることが好きで、そんなことに熱中していました。そうして就職活動を始める時期がやってくるのですが、明確にやりたい仕事や入りたい会社が定まらず、漠然とモヤモヤしながら進めていました。周りのみんなが前向きに会社説明会や面接に向かう姿を横目に、そのモヤモヤは晴れることがなく、初めての就職活動は内定企業を辞退して、自分の軸を見つめ直すことにしました。
そうして迎えた2回目の就職活動。その頃には、いろんな会社を調べたり、ビジネスのニュースに触れる時間を増やしたり、たくさんの社会人と話をしたりする中で、有名無名関わらず社会に新しい風を起こす起業家に魅力と憧れを感じるようになっていました。特に東京で活躍するベンチャー経営者に、いつしか自分の未来を重ね合わせていました。
一芸に秀でたスペシャリストではなく、ハイレベルなゼネラリストに。
大学を卒業して就職してからは、自分の理想に向かって順調な歩みでしたか。
世古:いえ、むしろその逆と言えるのではないでしょうか。新卒で入社した会社は、確かにベンチャー企業でした。人材ビジネスを事業内容とする会社だったのですが、若い会社であるが故に社内のルールやフローが確立されておらず、いま考えるとかなり過酷な労働環境でしたね。目標達成のためには手段は問わない、というような。1年目の年末には大阪支店の立ち上げに伴い転勤することとなり、東京での新社会人生活はあっという間に終わりを告げました。
心機一転、大阪での社会人生活は尊敬できる上司や優秀な同僚にも恵まれ、自身の至らなさやスキル不足にもがき苦しみながらも、充実した社会人生活を送っていました。立ち上げ間もない拠点であり、10人にも満たない規模だったので、全員が一丸となって目標達成に突き進む組織効力感があり、毎日新鮮な心持ちで仕事していたことを覚えています。
しかし一方で、自分の中では爆発的な業績を上げることができないことや、前例のない斬新な事例を生み出すことができないことなど、ジレンマを感じてもいました。その頃から、一芸に秀でたスペシャリストではなく、ハイレベルなゼネラリストを目指すようになりました。競争の激しい会社でしたが、冷静に周りを見ると、高業績を継続する人は何か特別な武器を振りかざす人ではなく、誠実にお客様に向き合い、当たり前のことを当たり前にこなす人であることに気づきました。
最初の転職は、そのジレンマを解決するためだったのですか。
世古:もともと地元志向が強く、20代のうちに地元に戻ろうとは思っていたのですが、少し早いタイミングでそれが実現することになりました。実は学生時代から政治家になることを夢見ていたので、その道を歩みだそうと真剣に考えていたのですが、家族や親戚からの猛反対と、自分自身に覚悟がなかったことから、他の選択をすることになります。地元の和菓子製造会社で役員を務めていた叔父が退任するタイミングで、叔父から入社の誘いを受けたのです。地域を代表する企業であり、大きな社会的影響力もあると認識していたので、地域活性化の目的のためには政治という手段以外にも方法はあると考え、入社を決めました。
その会社には約10年在籍しました。20年に一度の伊勢神宮式年遷宮を迎えるための営業活動や、それまで経験の無かった管理部門で仕事をする機会に恵まれました。また、当初の目的であった「地域貢献」の実感を得ることもできました。反面、商品力やブランド力があまりにも強いことで、自身のビジネスパーソンとしての存在意義に不安を覚え、キャリアアップのイメージも湧きづらくなってきました。30代半ばにもなり、家族を持つようにもなり、主体的に自分のキャリアを広げるためには新たな場所が必要だという思いから、転職を決意しました。
自ら機会を創り出し、機会によって自らを変える。
そこからロジセンスに出会うことになった経緯を教えてください。
世古:和菓子製造会社からの転職を考えた時に、いくつか選択肢を持ちました。本命はもちろん、他社に正社員として転職をすること。そして独立もしくは起業すること。そうして、登録した転職相談窓口がロジセンスだったのです。ロジセンスとの出会いを正確に言うと、今からちょうど6年前ですね。しかしその目的は、あくまで私に合う企業や仕事を紹介してもらうこと。私からもロジセンスからも、一緒に働きたい・働こうというような話は無く、私はロジセンスに紹介してもらった食用油メーカーに転職しました。
その会社は、さすがに私の思いをしっかり把握した上で紹介してくれた会社だったので、経営企画部門に配属され、自由に楽しく働くことができました。具体的には、人事採用戦略やDX推進、社内制度の見直し、各種イベントの企画・運営など社内外から協力を得ながら、色々なことに一気通貫でチャレンジし、貴重な経験をすることができました。また、経営者と近い仕事環境だったので、ビジネスパーソンとしての目利きや感性を肌身で感じ、さらには一流であるための大切な価値観まで、多くのことを学ばせていただきました。
転職前とは違い、一定のスキルアップも実感でき、自信も付き始めていましたが、もっと自分の力を試してみたいという挑戦心が徐々に旺盛になっていることに気づくこともありました。そんな中、ずっと懇意にしていた千春さんから、40代はビジネスパーソンとして一番活躍できる年代でもあり、誰と、どこで、どんな仕事をして40代を駆け抜けたいか、本気で自分自身と向き合うべきだとアドバイスを受けました。非常に考えさせられる「問い」でもあり、本気で自身と向き合った結果、ロジセンスに入社していました(笑)。
世古さんがロジセンスに最も惹かれたのはどんなところでしょう。
世古:ロジセンスのキャリア面談に初めて対峙したとき、経営者でありコンサルタントでもある中井さんの圧倒的な提案力やビジネススキルの高さに驚かされました。また、千春さんの地頭の良さ、コーチングスキルなどビジネスパーソンとして尊敬できる要素ばかりで、そういったハイレベルな人たちと仕事ができることが何よりも魅力に感じました。直近で在籍した2社は、安定した経営基盤で「商品力」が非常に強いメーカーでしたが、自分の仕事選びで最も重視する点は「一緒に働く人」であるという新卒入社のきっかけとなった思いを再認識し、個人の力を最大化させ、チームとして社会の役に立つ仕事をするための理想の環境があると確信しています。
もちろん、楽しみな気持ちと同じくらい、大きな不安もあります。ここでは主体的に動くことはもちろん、0から1を生むようなクリエイティブな役割も求められます。それでも、禅問答みたいな話ですが、ロジセンスには私以外に私はいません。ということは、私という個性がこのロジセンスの新しい付加価値になれるということです。今までで一番ワクワクできるステージが始まりました。
自分らしい仕事を生み出し、地域にも貢献していきたい。
これから取り組みたいこと、実現したいことなどはありますか。
世古:40歳過ぎて新たな挑戦となりますので、まずはこの選択が正しかったということを私自身で証明する必要があると思っています。結果を待つのではなく、結果を出しに行く。そのために、これまで以上にインプットもアウトプットも増やしていきたいと思っています。多種多様な経営課題に対し、世の中で最も曖昧で最も複雑な「ヒト」を真ん中に置いた提案を行うロジセンスでの仕事は、強い商品力に頼る営業では通用しません。そんなロジセンスで、まずは一つ「自分らしい」と言われる成果を形にするのが、今の目標です。
また、やはり地域の発展に貢献したいという強い思いも持っています。経済が長らく停滞する中でも、例えば福岡市のように人も企業も元気な街はあります。三重のような地方でも、きっとできることはたくさんあるはずです。政治家を選ばなかった私としては、ビジネスの力で地域を盛り上げていくことを使命に、目の前のクライアントに対して全力を注いでいきたいと思います。
最後に、プライベートでの今後の予定や目標などがあれば教えてください。
世古:インドアな趣味もあると同時に、イベントに足を運んだり、友人たちとキャンプに出掛けたりすることがありましたが、マイホームを持ってからは、子守りしながら、芝の手入れや南国系の観葉植物を育てることにハマっています。これからの目標というか野望で言うと自宅敷地内にコンテナハウスを建てて、自分だけの秘密基地にしようとたくらんでいます。さらに、今は子どももいますし、家族で大好きな沖縄へ何度も旅行して、非日常空間を思う存分味わい尽くしたいですね。
インタビュー:堀内 千春 (LOGISENSE Inc.)
記事執筆:竹中 圭一 (LOGISENSE Inc.)
撮影:井村 義次 (LOGISENSE Inc.)